心理

自分の人生への第一歩 ~私がリトリーブサイコセラピーを選んだわけ

こんにちは。
心理セラピストのヤコーヒロコです。

リトリーブサイコセラピー®︎という心理セラピーで心のお悩み解決・自分の人生を歩むお手伝いをしています。

今年の2月で私がリトリーブサイコセラピー®︎に出会って3年になりました。 本日は、なぜ私がリトリーブサイコセラピー®︎を選んだのか、というお話をしようと思います。

さて、突然ですが、 皆さんは田房永子さんの

『うちの母ってヘンですか?』

というマンガを読んだことはありますか?

いわゆる「毒親」と言われる母親とその娘のエピソードが15話ぎっしり詰め込まれた漫画です。

よく見てください、この表紙。

コーヒーカップに乗っている母娘の、お母さんの方がコーヒーカップを回し、娘の方は困ったような顔をしながら、でも何も言えず母親の操作に任せてコーヒーカップに乗っています。

そして、本編を読むとわかるのですが、このコーヒーカップは実は母親のコーヒーカップではなく、娘のコーヒーカップです。

具体的には、

・娘の趣味や習い事に口を出し、管理したり一緒にやろうとする
・娘の友人といつの間にか仲良くなってあれこれ娘のことを聞き出す
・娘のの彼氏に娘の昔の恥ずかしい話を嬉々として話す
・娘の部屋を不在時にあさる
・娘の進路を勝手に決める
・娘の感情を「なに泣いてるの!そんなの悲しくない!」といったように否定する

といった状況を比ゆ的に描いているイラストなんですね。

さて、このコーヒーカップを「人生」という言葉に置き換えてみてください。

母親が、娘の人生に乗り込んできて、娘の人生の舵取りをする

どうですか?
この一文を読んで背筋がぞわぞわした方は、お母さんに人生を明け渡していた経験がある可能性がありますよ。

もしくは、今もお母さんに人生を乗っ取られている最中の方もいるかもしれません。

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さて、このように、困った顔をしながら母親に自分の人生を委ねてしまっている娘に共通する特徴として

反抗期が無い

ということが挙げられます。

反抗期とは、

「私は私、お母さんはお母さん。私と親は違う人間」

と自分と親を切り分けて、自己を確立する時期なんですね。
人が1人の大人として生きていく上で、とても大切なプロセスなんです。

ところが、反抗期を迎えた子供なら

「ちょっと!私のコーヒーカップから降りてよ!」

と言えるところを、「コーヒーカップにいつまでも母親と一緒に乗っている娘」は、困った顔はするものの、イヤ!と言わないわけです。

さて、そんなふうに意気揚々と娘のコーヒーカップに乗り込んできた母親ですが、母親本人のコーヒーカップはいったいどうなっているのでしょうか?

そこには夫がぽつんと座っています。中には、コーヒーカップの中で黙々と仕事したり、自分の乗っているコーヒーカップには関心を払わず、他のコーヒーカップに乗っている女性を見ていたりする夫もいるかもしれません。

そして、母親はそちらの方は見向きもせず、娘の方に乗り込んで、生き生きとハンドルを操作するのです。

つまり、このような母親=娘の人生に乗り込んできてコントロールする母親 は、自分の人生と向き合うことを放棄しています。

その背景には

・わかり合えない夫
・叶えられなかった夢
・母親自身の孤独感、無価値観
・自分の親との確執

などの問題が山積しているのですが、それらから目を背けて、娘の人生であれば思い通りにできるとばかりに、あれしろこれしろ、あれしちゃダメ、これしちゃダメ、と口出しするのです。

そして娘の側は、母親の支配が苦しいと思いながらも

・母親が自分の人生に納得がいっていない
・母親の寂しさ、悲しさ

といったことを感じているので、「イヤ」ということができないのです。

とはいえ、娘の側にも母親の支配を受け入れるメリットがあるのですが、それはまた別の機会にお話ししますね。

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さて、何を隠そう、わたし自身も反抗期の無い娘でした。
もちろん、自分のコーヒーカップには母親を載せていました。

30歳を過ぎても母親に「わたしの人生から降りて」と言うことができなかったんです。

母親の孤独感と自分の孤独感が一緒くたになってしまっていて、母親と自分を切り離したら、お母さんが孤独になってしまう。お母さんが可哀想、と本気で思っていたからなんですね。

そして、母が死んだら、その死を見届けてから自分も死のうと思ってすらいました。

自分自身の人生を生きている感覚が無かったので、

母親の死=自分の死

だったのです。

ある日、これではいかん!!と思い立ち、飛び出るように実家を出たのですが、しばらくは母親を一人にしてしまった、という罪悪感に苛まれました。

うちは父親ももう亡くなってますし、わたしは一人っ子なので、わたしが出て行ったら母親も一人で暮らすことになるので、本当に悪いことをしてしまった、と思っていたのです。

そんな時、リトリーブサイコセラピー®に出会い、わたしがずっとずっと苦しく、生きづらかった母親との共依存の原因は愛着の問題なんだ!!
これを解消しないと、一生お母さんと一緒の人生を送って、お母さんと一緒に破滅してしまう!とつくづく実感し、基礎コースに通うことを決めました。

・・・ま、講座に通いセッションを受けるうちに、自分の生きづらさの原因が、愛着の問題だけじゃないことがわかるのですが(笑)

リトリーブサイコセラピーでは、ゲシュタルト療法という心理療法の「感情は筋肉に宿る」という考え方を取り入れ、体を使って、幼少期に完了していない「怖い」「悲しい」「腹が立つ」といった感情を解放していきます。

人生だけでなく、感情も母親に明け渡してしまっている、わたしのような娘達は「感情を感じても無駄だ」とばかりに感情を鈍らせて、無かったことにする癖がついている人も多いのですが、セッションを受け、自分の感情や自分の人生に向き合えば向き合うほど、驚くほど楽になっていくのです。

あれから3年。

基礎コース修了後に応用実践コースにも通い、セッションも定期的に受けて、とってもとっても生きやすくなりました。

具体的には、

・義務感と、母親が無事かという不安に駆られて毎日していた母親へのメールが、必要な用事がある時だけの連絡になった

・母親を看取った後、4畳半で孤独死するんだろう、という自分の将来のイメージが明るいものに変わった

・何かを決める時に、母親はどう思うだろう、と心のどこかで気にする感覚が無くなった


・人間関係が変わり、また、わたし自身の人との関わり方が変わり、周囲の人たちの暖かさを感じられるようになった


・役に立たなければ、生きている価値がない、という焦燥感が劇的に減った

こういった心に巣食う、わけのわからない不安や絶望感が薄くなった結果、「役立たず認定」されないように過度に頑張ったり、人の反応に一喜一憂したり、やっぱり自分はダメなんだと自己否定を繰り返す、ということがとても減ったのです。

先程の『うちの母ってヘンですか?』の事例にも出てくるのですが、お母さんから離れられない娘、絶縁する勢いでないと離れられない娘たちって、実は世の中にたくさんたくさんいます。

地理的に離れていたとしても、心はべったり母親と癒着している母娘って多いんです。
また、母親でなくても、誰かに依存しないと生きていけない、という感覚を抱いている人って多いんですね。

わたしはこういった、母親をはじめとする誰かの支配を受け入れ続ける娘達が一人でも多く現状から抜け出し、「わたし自分の人生を、しっかりと自分の足で歩くことができる」と気付き、また自分の人生を作っていくと決断するサポートをしたいと思い、リトリーブサイコセラピー®の心理セラピストになることを決意しました。

周囲と断絶する、という意味ではなく、自分は自分、お母さんはお母さん、夫は夫、友人は友人、というように自分と他者を個別の人間だと認識し、自分自身も相手も尊重できるような、

真の自立をしていく日本人女性が増えるよう、これからも自分の持つ限りの力を注いでいきたいと思います。

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