差別意識は〇〇感の裏返し


こんにちは。
心理セラピストのヤコーヒロコです。
 
リトリーブサイコセラピー®であなたの心のお悩み解決、自分の人生を歩くお手伝いをしています。
 
突然ですが、あなたは舞台鑑賞は好きですか?
舞台といえば、演劇・歌舞伎など、様々なものがありますが、中でもミュージカルは歌とダンスを楽しむことができますね。
 
最近は、「ラ・ラ・ランド」や「美女と野獣」などのミュージカル映画も多く公開されていますね。
 
そんな中、先日、素晴らしいミュージカルを見てきました。
 
その名も「MENPHIS(メンフィス)」。
 
MENPHIS(メンフィス)
 
何を隠そうわたしがジャニーズと引けを取らないくらい好きな俳優である山本耕史さんが主演・演出をした舞台です。
 
共演者には、元劇団四季の濵田めぐみ、演歌歌手ジェロ、米倉利紀など、そうそうたるメンバーが顔を揃え、音楽監修は、あのBON JOVIのデヴィッド・ブライアンだけあって、音楽も歌もダンスも芝居も最高!!でした。
 
このMENPHIS、初演は2年前でして、もちろん初演時も見たんですが、観劇する前は、アメリカのテネシー州のメンフィスが舞台の陽気なミュージカルなんだろう、と思っていました(ネタバレしないために、あらすじも読まずに観るタイプ)。
 
そうしたらですね、1950年代のアメリカの、黒人差別がテーマになっていたんです。
音楽はとてもとても美しく、時に陽気なのですが、重~~~いテーマを扱った舞台でした。
 
ご存知の方も多いと思いますが、1950年代のアメリカでは、奴隷解放はもちろんされたものの、法律で人種差別が合法化されている州が多い状態でした。
黒人と白人で鉄道車両や、水飲み場を分離するような法律ですね(州によって内容は異なる)。
 
そして、当時のテネシー州では、黒人と白人の結婚も法律で禁止されていました。
 
白人家庭では、黒人文化に触れることはタブーとされていた時代に、このミュージカルの主人公 ヒューイ・カルフーンは、退屈な白人音楽のみ扱うラジオ局に黒人音楽であるリズム&ブルースを持ち込み、ラジオで放送したのです。
 
若い世代は新しい音楽に熱狂しました。ヒューイは一躍人気DJになります。
 
そんなヒューイは黒人シンガーのフェリシアと恋に落ち、結婚を申し込むのですが、当時のテネシー州では結婚は禁止されており、交際していること自体も極秘にしなければならない状況でした。
 
そして、ある日、二人で街を歩いている時に、二人は白人男性の集団に襲撃されます。
フェリシアだけが殴られ、重傷を負い、ヒューイは押さえられていただけで無傷でした。
 
怪我から復帰したフェリシアは、歌手としてのチャンスをつかむため、黒人差別が南部ほど厳しくないニューヨークに渡ることを決意し、メンフィスに留まりたがるヒューイに別れを告げます。
 
時代に飽きられ、末端の放送局で細々とDJを続けるヒューイと、歌手として全米ツアーをスタートさせるフェリシアのコントラストを描き、物語りは終わります。

さて、この舞台の中に繰り返し出てくるのは、 理不尽な黒人差別でした。

もちろん主人公のDJは実在した人物をモデルにしているものの、あくまでミュージカルなので、デフォルメされている部分もたくさんあります。

しかし、それでも 人が他人の上に立ちたがる心理よく描けているな、と思いました。

人は特権意識があると、自分の地位を譲渡したくない
と思うものです。

そして、その思いが強い人ほど、実は 自分自身の価値がとんでもなく低いと思っています。

差別意識の強い人ほど、 劣等感が強いと言われるのは、このためです。

何もできない自分、何も持っていな自分を意識すると、いても経ってもいられないくらいの恐怖を感じてしまうので、

・家柄
・性別
・人種
・出身地
・美貌

など、本人の責任ではない部分(努力で変わらない部分)を鎧のように身に着け、心の支えにして、本人の価値観としてそれに劣る人に対して特権意識と差別意識を抱きます。

もしくは、

・学歴
・職業
・所有物

などを死に物狂いで得て、他の人が太刀打ちできないような刀を手に入れ(と、本人は思っている)、自分が優れている、勝っている、と思い込みます。

差別意識は〇〇感の裏返し

こうした意識を持っている人にとって、この鎧と刀を身に着けられるのは、必ずしも自分だけでなくてもいいのですが、「鎧と刀を持つことができない人」の存在が必要となります。
 
自分の持っているものを持てない人を見下すことで、優越感を感じ、本当は自分が抱えている劣等感を感じなくて済むからです。
 
自分より下と思える人がいることにより、安心感を得ることができるんですね。
 
言い換えれば、優越感を感じられる要素である外側の部分しか、OKだと思えるものが無い、ということです。
 
それがもし覆されてしまいそうになってしまったらどうでしょう。
この優越感を持つことで自分を「すごい」と思えたり、自分を保てている人は、猛烈に反発します。
 

自分自身の存在価値=生きる価値があるかどうか に直結しているからです。


 
これは何も人種差別だけではなく、身近なところでは男尊女卑や年功序列などにも見ることができる現象です。
 
もし、あなたが自分の生まれ持った属性や、必死で手に入れた物を根拠に、誰かを見下したり、自分の方が勝っている!と思っているとしたら。
 
それって苦しくないですか?
 
誰かに地位を脅かされる不安がありませんか?
 
でも大丈夫です!!
 
あなたの劣等感・無価値観にちゃんと目を向け、向き合っていくことで、
 

私は、何も持っていない、何もできない私でも、かけがえのない存在なんだ!

 

安心して生きていていいんだ!

 
と思える日が来るんですよ。
 
 
 

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