「本気出せばできる」って言いながら、逃げ続ける人生を送り続けたいですか?


 
こんばんは。
心理セラピストのヤコーヒロコです。
 
リトリーブサイコセラピー®︎で心のお悩み解決・自分の人生を歩むお手伝いをしています。
 
今年もあと一か月を切りましたね。
あなたは、今年やろうと思ったこと、挑戦しようと思ったことを今年のうちにやれましたか?
できそうでしょうか?
 
わたしは今年のうちにやろう!と思っていることにやっと着手しました。
今年中に形になるといいなー!と思っています。
 
でも、今までは「やろう」と思ったことになかなか取り組めなかったり、先延ばしにしたり、後回しにしたりすることが多かったなぁと思います。
 
あなたはどうですか?
やりたいことにどんどんチャレンジして、経験を積んで、形にする、結果を出す、ということをやるタイプですか?
 
それとも・・・
 
「俺はまだ本気出してないだけ」

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と言って、先延ばしにするタイプでしょうか?
 
今日はこの「まだ本気出してない」と言って、自分のやりたいこと・やるべきことに取り組まない人達について考えてみたいと思います。
 
さて、この「俺はまだ本気出してないだけ」というフレーズ。
元ネタは映画にもなった漫画のタイトルですが、こういう感じの言葉を言う人ってあなたの身の回りにもけっこういませんか?
 
「やろうと思えば、いつでもできるんだけどね」
「まぁ、やれるんだけど、今はまだ様子見」
「(何かを失敗した後に)あの日は風邪を引いて本調子じゃなかったからね」

 
などなど。
これらの発言を裏返すと、 「俺が、私が本気出せば、本当はすごい」という思いが透けて見えてきますよね。
 
では、なぜこういった意識の人たちは彼らが言うところの「本気」を出さないのでしょうか?
 
このような人達は、内心でこんな意識を持っていたります。
 
「自分は、ほんとうはやればできる(やったことはないけど)」
 
この「やればできる」って言う言葉、小学校の成績表に書かれたことがある方も多いのではないでしょうか。
 
しかし、この言葉を目にした時に
 
「そうか!自分はやればできるんだ!じゃあ、積極的にいろんなことに挑戦していこう」
 
と思う人と、
 
「そうか!自分はいざとなればできるんだから、今はやらないでおこう」
 
と思う人がいるわけですね。
 
この後者のタイプの人にとっては、「やればできる」ということが、免罪符となり、安心感を与えられている状態なのです。
やらないでいるうちは「本当は、やればできる」という根拠のない自信を持っていられるし、根拠のない優越感に浸ることもできるんですね。
 
自分は何もやっていないけれど、「できない」「できなかった」という状態でもないため、失敗した人をバカにしたり、地道に頑張っている人に対して
 
「おやおや、あんなに頑張っちゃって」
 
と、謎の上から目線で高見の見物をできるわけです。
 
本気を出せばできる
 
なぜなら、自分は「できない」という状態ではないから。
 
そう、最初から勝負を降りて失敗しない、負けない、「不戦勝の人生」を歩んでいるんですね。
 
でも、こういう人たちが、謎の上から目線のポジションから降りて、実際に何かに取り組んでみて、できなかったら?
 
自分を支えてくれていた、はかない自信はあっという間に崩れ去り「私は、できない」という絶望・劣等感を抱くようになるんですね。
 
なぜなら、こういった人たちは、このような環境で育ったことがある場合が多くみられるからです。
 

・できないと親に馬鹿にされた
・褒められたことが無い
・言うとおりにしないと叱責された、無視された
・他の兄弟と比べられて、自分の方が劣っていると言われていた
・失敗したことを面白おかしく吹聴された
・一生懸命何かをやっている姿を揶揄された

 
これまで、こういった傾向の人達に接してきて共通するのは、「恥」という呪縛にとらわれている傾向が強いな、と思います。
 
ならば、やらないでいて「本当はできる」と思っておいた方が安全。
 
でも、「これなら余裕でできる」と思う安全圏の中に身を置いて、本当はやりたいな、挑戦してみたいな、と思うことをやらずに一生を終えたら、どう
 
なるでしょうか?
 
失敗しなかった安堵感よりも、
 
「やらなかった後悔」
 
の方が大きいのではないでしょうか。
 
そして、「できる」「できない」に囚われているので、
 
自分がされたように、できなかった人を軽んじたり
一生懸命に努力している人を揶揄して、その努力に水を差したり
チャレンジできない怖さを隠すために「本気出してないだけ」というポーズをとり続けたり
 
ということを続けるわけです。
そして、自分の中には「何かを成し遂げた」「やりたいことができた」という達成感が無いまま、その斜に構えた皮肉な態度が人から疎まれていきます。
 
中身は空っぽ、周囲には人がいない
 
本気だせばできる02
 
という、状況になる可能性が高いのです。
こんな状態になってしまったら、あなたは一体何を感じるでしょうか?
とっても寂しい人生になりそうですね。
 
こういうリスクがあるにも関わらず、自らは行動しないでいる背景には、先ほども少し触れた「恥」「恥ずかしい」という気持ちが大きく作用しているのではないかと思います。
 
恥って、人にとって本当は「恐怖」なんですね。
 
人前で、予期しない場面で恥ずかしい思いをすると、人は自己が傷つきます。
この「恥」の感覚は、自分が何かの基準に対して失敗したと評価した時に特に感じやすく、自己が傷つくと、「その場にいられない」「いなくなってしまいたい」というくらい強烈な自己否定を誘発し、また、それが転じて人に攻撃的になったりするくらい、激しい感情になります。
これが人によって程度は違うものの、大きな苦痛に感じるので、こんな思いは二度としたくない、と恥をかくような場面を恐怖に感じ、避けるようになるのです。
 
幼い頃にそれほど強い恥の感情を抱くような環境にいると、何かをして恥をかくくらいなら、何もしない方が得策だ、と思うようになるのは不思議ではないですね。
 
でも、その感覚を抱き続けていると、人生を止めてしまうし、人によってはどんどん孤独になってしまう将来が待っています。
 
この、幼いころに感じた恥ずかしい、怖い、という感情を解放することによって、何もしない、現状維持を続ける、という人生から、やりたいことにチャレンジできる人生に一歩踏み出すことができるようになります。
 
リトリーブサイコセラピーで、先送りにし続けて不戦勝を続ける人生から、自分の生きたい人生を歩み始めるお手伝いをしています。
 
 
 

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