心理映画の心理親子関係のお悩み

映画『しゃぼん玉』における母性と父性

こんにちは。
心理セラピストのヤコーヒロコです。
リトリーブサイコセラピー®という心理セラピーで心のお悩み解決・自分の人生を生きるお手伝いをしています。

先日、2017年に公開された映画「しゃぼん玉」のリバイバル上映を観に行きました。
最近は、リクエストを募って各地の映画館でリバイバル上映をする、という企画があるんですね。
もし、「あの映画をスクリーンでまた観たい!」というものがあったら、リクエストしてみてもいいかもしれません。

さて、この「しゃぼん玉」ですが、乃南アサの小説が原作になっている作品で、犯罪に手を染めた青年が逃亡先の村で人の温かさに触れ、再生していく、という物語になっています。

この逃亡先の村というのが、宮崎県の椎葉村(しいばそん)という山深い村でして、犯罪とは全く無縁といっていいほどのどかな田園風景が広がっています。

ここで、主人公の青年イズミはひょんなことから出会ったお婆さんの家に居候することになります。
お婆さんの家でゴロゴロ寝っ転がり、お婆さんが野良に出ている間に金目のものはないか家探しをしたり、仏壇に供えてあるお爺さんが愛飲していたであろう煙草を勝手に吸ったり。

ほんと、ろくなもんじゃねぇ姿を見せ続けるイズミ。

でも、そんなイズミに対してお婆さんはこう言い続けるのです。

「坊はええ子じゃ」

野菜尽くし&猪肉という、山ならではの体に優しそうな食事とともに、この「坊はええ子じゃ」という言葉がだんだんイズミの中に染み込んでいくんですね。

最初は追手のほとぼりが冷めるまで隠れて、金目の物を盗んで出ていこうと思っていただろうイズミは、金目のものが見つからなかったこともあって、お婆さんの家でゴロゴロ寝っ転がったり煙草を吸うという暮らしに馴染んでいくようになります。

そんなある日、近所のお爺さんが山の仕事を手伝え、とイズミを山に連れ出します。
お爺さんといっても、険しい山を自在に上ったり下りたりできる、かなり壮健な男性です。
イズミはこのお爺さんに「いつまでもゴロゴロしてたらダメだ、働け」と言われ、文句を言いながらもキノコ狩りをしたり、猟の手伝いをしたり、とだんだん仕事に意欲的になっていくんですね。

そして、村で行われる祭りの手伝いもするようになっていきます。

そこでなんだかんだあって、イズミは自分の罪に重さに気付き、感動のラストシーンへ・・・という展開になるのですが(おおざっぱ)、私がここで深く感じ入ったのは、

人の成長に必要な母性と父性がよく描かれている

という点なんですね。

「母性」とは、子供を受け入れ、包み込む愛情表現です。

しゃぼん玉で言うところの、お婆さんの担当部分ですね。
どんなに険しい目つきの素性の知れない青年であっても、あれこれ詮索することなく、その子の持つ無垢な魂を見出して「ええ子じゃ」と本人に聞かせるでもなく呟き続ける。
そして、手を尽くした食事を食べさせ続ける。

「ええ子じゃ」と言ったり、食事を与えることで「相手を変えてやろう、思い通りにしてやろう」というような打算は一切ありません。
ただ、イズミの存在を受け入れ、丸ごと包み込んでいるんですね。

お婆さんとのこういった生活を通じて、イズミは自分自身が受け入れられ、見守られ、慈しまれるという体験をするんですね。

一方、「父性」とは、社会で生きていくための知恵や規範を示す役割があります。
人が社会生活を営むためには、ルールに従ったり、自分を律することって大切です。

そう、「母性」だけじゃ片手落ちなんです。

自分を絶対的に受け入れてもらえる、という体験だけでは「全ては自分の思い通り」「自分の思い通りにならなければイヤ!」という価値観のまま生きることになってしまいます。
子供に対して「お友達を叩いちゃいけないよ」「人のものを取ってはいけないよ」と教えることって、その子が社会の中で生きていくうえで必要なことですよね。

イズミはお婆さんとの生活で自分自身を取り戻していくのですが、なんでも受け入れてもらえる環境と、食うに困らないという安心感でとっても好き勝手に自堕落な生活をするんですね。

そして、この映画の中では、お爺さんが「父性」の役割を担っているんです。
お爺さんが早朝起きれず布団にもぐろうとするイズミを叩き起こし、仕事の大切さを説き、山仕事の手本となって岩山の登り方、キノコの採り方などを示すんですね。

そして、イズミが失敗をしながら仕事に取り組む姿を、叱らずに黙って見守るんです。
そんなお爺さんとの時間を共にすることで、最初は反抗的だったイズミも、だんだんと「きちんと暮らす」「仕事に取り組む」ということを覚えていくんですね。

この順番は逆であってはあまり効果がよくありません。

自分が「絶対的に受け入れてもらっている」という安心感があってから「社会のルール」を教えられると、すんなりと入っていくのですが、自分を受け入れてもらっていない、という不安感や不満感を抱いたままでルールを教えられても、反発心を覚えながらしぶしぶ従うことになります。

イズミも、お婆さんから「母性」的な無償の愛情を与えられ、お爺さんから「父性」的な社会で生活するルールを教えられ、それまで「捕まったらどうしよう」程度にしか意識していなかった自分の犯した罪の大きさに気付いてくんですね。
人の心を取り戻していくんです。

さて、現代の日本社会はどうでしょう?
自分が「受け入れられている」「どんな自分でも大丈夫」「ありのままの自分を大切にする」という感覚を持てている人ってどのくらいいるでしょうか?

そして、鷹揚としながらも毅然とした態度で子供に社会の規範を教え、温かいまなざしで見守ることができる大人はどれくらいいるでしょうか?

現代の日本人に生きづらさを抱えている人が多いのは、こういった人の発達の上で必要な基盤が欠如している、ということが原因の一つに挙げられるのではないかな、と感じました。

でも、幼少期に安定したお母さんに全てを受け入れてもらうという経験が無く、落ち着いたお父さんの温かいまなざしの中でチャレンジさせてもらった経験が無い人でも、大人になってから変わることができるんです。

「あんな両親の元に生まれてしまったから、人生詰んだ」

と思う必要はありません。

これから、いくらでも「人に受け入れてもらう」「温かい関係を築く」ということは可能ですよ。

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